あの日が きた・・・

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御嶽山噴火災害から 9月27日でちょうど一年。

町ではあの「時」に合わせて52分から黙とうの鐘の音が町内に有線で流れた。

被害にあわれた人々、遺族やいまだなお 不明者家族のこの一年はどれほど辛い一年だったのかと思う。

と同時に 当時の町の様子も一変した。町の人間のひとりとして再び思い起こすと 当日の一時ごろから火山灰が初雪のように 降ってきた。硫黄のにおい。その後、報道関係からの電話の問い合わせ「火山灰の様子」や「登山者が宿泊の予定ははいか」。とお客さまからのお見舞いの電話。

次の日から、報道関係者が泊まることとなり いわれのない不安を身にまといながら過ごしていたように思う。

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(写真は昨年 噴火から3日後のスキー場からの御嶽)

町の役場には報道陣の車と 不明家族の車でごった返し 役場機能を果たせない状況だった。次々と大小の祭りやイベントが中止となり 高校の競歩大会までなくなった。

捜索開始の日は高校のグランドがヘリポートに代わり 近所に住む子供たちのSNSにはヘリの音がすごい!!不安 といったテレビ画面では報じられない混乱した町中の様子を発し、娘は、そんな友人たちのSNSの 内容をぽつぽつと 話してくれていた。

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かおる の上空もヘリがいきかい特に 自衛隊のヘリはプロペラ音が 違い捜索に向かう朝と捜索終了を告げる夕方を知る そんな音にもなっていた。

町中は報道関係の車と 報道陣らしい人がスーパーで食料品を買いだめしていた。雰囲気で報道関係とわかるようにもなった(笑)

「災害派遣」を車両に付けた大型車両や かおるの下の国道を走る 10台近い警察車両の列。自衛隊車両そして やじ馬の車・・・・

とにかく混乱していた。普通ではなかった。

だから、あの日から 私は 災害が起こると テレビに映しだされていないその後ろにある 混乱している町の様子や さまざまな音を その画面の中で 感じるようになった。

亡くなられた皆様と行方不明の5名の方々に祈りを捧げます。

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